ちょっとした毎日の記録

わたしの記録です。

卒業展

長いようで短い8日間が終わってしまった。
終わってしまうとほんの一瞬だったように思える。4年間の集大成と大きく言われるものが、こんなにも早いのかと思うと不思議な気持ちだった。

いままでの卒業はただの通過儀礼というかよっぽどのことがない限り卒業できるという認識で、特に何も考えずにいたし、そこまで気にとめることはなかった。友人に会えなくなるのが少しだけ寂しいくらいで遊びたいときに遊べばいいかくらいだった。

早く次のステップに進みたかった。だからどの卒業式も惜しんで泣くことはない私だった。

今回の場合はこうやって苦しんだり楽しんで作ったものを公の場に出す機会が少なくなるし寂しいのもあるけれど、やっと何かから卒業できる気がする。
ただこなすだけの卒業じゃなくなるような気がする。

やっといろんなことからオサラバできる気がする

 

12月になった

卒業するための審査みたいなものが終わって、11月はあっという間に

バタバタと慌ただしく過ぎていきました。時間の流れを感じる間も無く、

11月なんて本当は無かったんじゃないか と思うくらい。

 

今年もあと1ヶ月しかないらしく、やり残したことよりも

今やるべきことのほうがあって追われてるような感覚が少しある。

でも、今年の終わりと来年の始まりくらいはゆっくり休みたい。

 

来年から社会人になるけど、そんなふうにもいかないのかな。

 

まだやりたいことが少しだけ曖昧だ。

10月ということで今年も残り2ヶ月

なんとなくで生きていたか生きてないかでいうと

なんとなくだったのかもしれない。目標とか大それたものがあったわけでもなく、

小さい目標を本当に少しずつこなしてきただけなのかもしれない。

 

卒業式も何から卒業してきたんだろうと、ただの通過儀礼

 

今一度自分のことを振り返ってみるけれども、もっと昔のほうがしっかり

でも自由に生きていた気がする。やりたいこともなりたいものも全部叶えた。

だからこそ中高生の頃には満足した意味で戻りたくないと感じる。

 

今の私は、瓶には色々詰まってるけど ただいろんな装飾品が乱雑に並べられているだけで、採取はするものの きちんと整頓されてない様子である。

 

まさに 「なんとなく」 だったことが分かる。好きなものやいいなと思うものを見てきた自信はある。しかし、どうだろう。何かそれを武器にできたことはあっただろうか。

今制作しているものも、やりたいことよりも、どんなものを作るかが先行していて

うまくいっていないのが現状。実際こうやって文字を綴っているのは、自分との

対話みたいなものなのかもしれない。

 

絵が描きたい。絵を描くことや手を動かすことが落ち着く。

もともと絵を描くのが好きだったじゃないか。妄想も好き。

そんな自分の頭のなかで作り上げた話を絵に起こしたい。

変なことは考えなくていい。ただ自分を自由に遊ばせたい。

遊泳と名付けているアカウントもそれが言いたいんだと思う。

自由に道連れしてほしい。

 

ただ今だけは周りの意見を聞かなくていい、まずは自分を大切にしたい。

 

私を自由にしない私が嫌い。

 

8月が終わった

今週のお題はてなブログ フォトコンテスト 2017夏」

 

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コンテストというのにのっかって、

すこしだけ夏を振り返ります。

 

これは8月の夜の水族館。

閉館時間の少し前に行きました。

人がいなくて魚と水槽の全部を隅々まで見れた。

 

 

夜の水族館は、人が本当に少なくて

あんなに昼間賑わってる水族館が

冷たいくらいに感じた。違う表情をしてた。

 

人がいないから 博物館みたいだった。

みんなが喜んで写真を撮ったり、

こどもが水槽のガラスにぺったり張り付いて

見るのとは違って、魚も水槽も全部

冷たい何かでできてるみたいだった。

でも心地良かった。

 

人気の無さも、水族館の青も全部。

 

 

 

 

 

最近

最近は、

 

少し現実から遠ざかるように くるくると遊んでいました。

逃げていたんだと思います。誰からと聞かれると自分から。

 

仕事を探さないといけないということ。

もう夏なのに進むべき道が見えていないこと。

何もかも曖昧で、何もかも手探り。いや、探ってもない。

 

夏に、恋人ができた。

 

それも最初は曖昧な形だった、決して悪い意味じゃない。

お互いに曖昧に進めたかったのかもしれない。

なんせ会ったことがない人だったから。

会ったときにしっかり確かめるのも遅くないって思ったんだと思う。

そんな安心感がどこかあるひとだった。ごまかす嘘をつけない人だとおもう。

恋人ができたことは嬉しい。舞い上がって記事の内容が逸れるくらいには。

 

一緒にいて、いやなことを忘れさせてくれる人だと感じた。

なんでもないことでもすぐ笑いに変える、魔法使いみたい。

恋人とは今すぐに会える距離ではない。線と線で結んでも、すぐには着かない。

こっちで住みたいらしく、それまでに仕事を見つけるそうです。

私もまさに仕事探し。そう。現実。

そう簡単になんでもうまくいくわけじゃない。知ってる。

 

文章を書いてると落ち着く。自分の頭のなかが整理されてくる。

やるべきことをやろう。気楽に、少しちからを抜いて。

 

 

いつからなのか

 

もうすぐ誕生日を迎えます。

誕生日が近いので、祝って下さいという記事ではなく、まだ21歳のうちに書きたいことを書こうと思いました。

 

誕生日は6月13日。

小さい頃は誕生日の日が近くにつれて、ワクワクしていたし たまたま見たテレビ画面の左上に表示された時刻が6:13だったり

外に出かけた時に見かけた車のナンバーが613とかだと ただの偶然なだけなのになんとなく心踊るような感覚になっていました。

本当に偶然なのに、嬉しかったのか、気分がよくなる。

 

20歳までの誕生日は待ち遠しかった気がする。

祝われることが嬉しくて、その日は自分を思いっきり甘やかしても

いいんだって、そんなふうに周りが全部ほかほかしてて、ケーキも

甘くて優しい味だった。サプライズも、プレゼントも全部キラキラしてた。

 

20歳から次の歳への誕生日は 恐ろしいくらい早かった気がする。

まるで数字だけが加算されていく感覚で、中身の私はおいてけぼりのような。

おめでとうを言われても歳をとった感覚がない。21歳になった感覚がなかった。

 

簡単にいえば1年そこらで成長してない気がする、私がただ わからないだけなのかもしれないけど。

 

最近は自分のこれからのことを考える機会も多くなって、さらに年齢を気にする歳になった。

もう21歳なんだ、大人になったつもりもないのに大人になった自覚も少しは持たなきゃいけなくて。でもまだまだ子どもで。

大人はみんなすぐ「いくつ?」って聞くから。仕方ないことだと思う、年齢はわかりやすいから。

 

母はお誕生日を迎える時「もうあんまり誕生日って感じがしないなあ」って

いってたような気がする。「歳とるだけやからねえ」って。でもなんとなく分かる気がしてる。いまそんな感覚だ。

 

22歳になったら何が変わるんだろう。周りの見る目かな。

自分よりも周りの見る目が、先に変わるんじゃないか。

たった少しの分かりやすい「数字」という表現によって。判断される気がする。

いつまで経っても数字は付きまとう。

小さい頃から親戚のおじさんとかに「なんさいですか〜?」って聞かれたときから。

 

でもきっと誕生日当日は、おめでとうって言われるだけで

嬉しくなったりするんだろうな、単純なわたし。

 

 

 

 

沼違い

今週のお題「私の沼」

 

21年間と 少し生きてきて、振り返って見ると

どハマりしたものがある人生ではないなと、感じています。

 

「今まさにズブズブと足が沈んでいっている沼でも、かつてハマりようやく抜け出した沼でも、どちらでもかまいません。沼に足を踏み入れたきっかけや、理由なども添えて投稿してください。」

 

モノやコトに興味が無いわけではないし、それなりに好きなものはあって、

でも夢中になれない。どこか冷めてる部分があるのかもしれません。

好きなアニメのキャラクターグッズを沢山買ったりした時期もあったけど、

もうどうしようもないくらい好き!とまでは いかない。

だから友人に「アニメオタクやん?」と言われても、逆にそこまで

なりきれていない生半可な状態だと感じた。中途半端。

 

でも、これを沼というのか言わないのかは分からないけど

好意を持った人に対しては、その人からなかなか抜け出せなかったりする。

その人の沼。

 

その人が他の人と楽しげに異性と話してたりすると、面白くなかったりする、

嫉妬だと思う。

 

普段あまり人に執着しないぶん、(人を本気で好きになることが少ない)

ハマると とことん興味を持ったりするのだろうか。

 

あ!誤解をうみそうなので先に伝えておきますが!

トーカー気質があるとか、その人が頭から離れられなくてずっとそばにいたいとか

そういう感情とは少し違う気がします。

一人の時間がないとだめで好きなので、自分は拘束されることを嫌うので

相手を拘束するのも好きではない。

 

じゃあ一体なにが言いたいんだと言う話なのですが、

何かにハマる感覚は、誰かを好きになる感覚と似てるのかと

自分のなかで今ごっちゃになっているというまとまりのない話です。

 

ただ「沼」というワードだけを聞いて書きました。

ではでは。